Hiromichi第三弾

【この記事のポイント】

・先輩の紹介でサウスピークに留学
・留学中に点数は伸びたが同時に700点の壁も感じた
・アメリカに留学すべく日本帰国後も英語学習を続けることを決意

はじめに

まずはじめに自己紹介をさせて下さい。小川洋道、21歳です。大学4年生の1年間を休学しています。現在、アメリカのカリフォルニア州、サンディエゴという町にいます。今年の4月にサンディエゴに来ました。こちらに来てから、7ヶ月が経とうとしています。

私は、UCSD(カリフォルニア大学サンディエゴ校)のExtension SchoolのBusiness Essentials(ビジネス専門学校)に通っています。クラスメイトは、カナダ、ブラジル、ドイツ、スイス、スウェーデン、ロシア、インド、中国、台湾、韓国と日本人。学生アパートに住み、イギリス人とルームシェアしています。

アメリカ留学といっても楽しいことばかりでなく、むしろ悔しいことばかりを経験していますが、毎日充実した日々を送っています。12月初旬に帰国予定で、来年の4月より大学に復学します。帰国後は、就職活動を控えています。

今から1年半前、私は、大阪の私立大学に通う3年生でした。大学は高校の内部入試で入学。平日は大学で講義を受けて、夜はバイト。休日はバイトか、サークルの活動。大学のテスト期間以外、勉強はしませんでした。どこにでもいる普通の大学生でした。

英語に関しては、高校時代、英語は好きでも嫌いでもありませんでした。教科書の例文と単語を覚えるだけで、高得点が取れるテストばかり。何を勉強したのかを全く覚えていません。大学入学後も、必修の英語の授業を受講するだけで、自主的に勉強したことはありませんでした。

当時は自分がたった1年後にアメリカで勉強していることなど想像できませんでした。今でも時々、考えます。「サウスピークに留学していなかったら」と。
そして、強く思います。「サウスピークが人生を変えてくれた」と。サウスピークに留学してなければ、今の世界は見えなかったはずです。
マネジメントと教師の皆様、サウスピークで出会った生徒の皆様。本当にありがとうございました。

今回は「英語を学んだ先にはどのような世界が広がっているのか」というテーマの元、私に起きた波乱の2年間を「サウスピーク留学前と、サウスピークでの日々」、「日本帰国後と、アメリカ出発まで」、「アメリカでの日々」の3回に分けて書きたいと思います。
特にサウスピークへの留学を検討している、もしくはサウスピークに留学中の学生の皆様に、僕が経験した「英語を学んだ先の世界」を少しでも知っていただければと

一章 意識高いだけ系学生

2014年1月

大学2年生の冬。なんとなく1年後の就職活動が気になっていた。「就活 対策」と検索したら、ヒットしたWebサイトには「TOEICが有利」「700点ぐらいあれば有利」という記載があった。

「まあそれくらい取れるだろう」。そんな余裕を持ちながら、携帯のメモのTO DOリストに「TOEIC 勉強」とだけ書き込んだ。ただ、いつになっても、そのTO DOだけは消えなかった。文字通り「意識高いだけ」の学生だった。

2014年3月上旬

「やっぱりちゃんとやらへんと」。焦りが行動に移った。「どうやって英語の勉強したん?」。TOEICの点数が高い友達に悩みをぶつけた。「フィリピン留学?」「フィリピンって東南アジアのバナナの国やんな?」フィリピン人が英語を話せるなんて誰も知らなかった。

2014年3月下旬

大阪の南方で開催されたフィリピン留学説明会に参加。「学校はリゾートのセブにあって施設は豪華、週末はバカンスか」。その時は紹介されていた韓国資本の語学学校に惹かれた。迷うこと無く、入学を決意した。

2014年4月上旬

大学の後輩と昼食をとっているとき、今度の夏休みにセブに留学することを伝えた。「僕もセブに留学したことありますよ」と彼が言い出した。韓国資本の語学学校に行き、成果も出たそうだ。

彼は続けた。「もっと良い学校を知っていますよ」「そこに行けば良かった」。「ひろさん、マジでオススメです」と彼が教えてくれた学校がサウスピークだった。早速3限目の授業中に資料請求の申し込みをした。

二章 人生初めてのTOEIC

2014年4月13日

人生初めてのTOEIC受験。僕は国際ボランティアや海外バックパックを経験し、海外には慣れていた。英語もできると自負していた。しかし蓋を開けてみれば、TOEIC395点だった。「ヤバい」。この悲惨な結果を見て冷や汗が出た。

自分は英語ができないという現実を突きつけられた。「俺、全然英語でけへんやん」。すごく恥ずかしくなった。ただそれでも自分は勉強しなかった。TO DOリストの「TOEIC 勉強」は残ったまま。「事前学習をしてください」と、サウスピークからメールが来ていた。それでも、しなかった。

2014年5月25日

2回目のTOEIC受験。520点に上がっていた。理由は分からない。1ヶ月前に感じた「焦り」が上手く働いたのだろうか。

2014年7月上旬

留学まで残り1ヶ月。サウスピークのカリキュラムで指定された教材は全て綺麗に買い揃えた。ただほとんど手を付けなかった。大学のテスト勉強も始まり、英語の勉強どころでなかったからだ。結局、事前学習をほとんどせずに留学を迎えることになった。

2014年8月2日

大学の試験が終わった2日後、遂にセブへ出発した。その日の夜遅くにセブに着いた。サウスピークのフィリピン人スタッフが空港まで迎えに来てくれた。学校へ向かうタクシーの中「早速、英語を話してみよう」と、車外の風景について話してみた。

今度はスタッフが町の説明をしてくれたが、ほとんど聞き取れなかった。ただ、一言だけ聞き取れた。「Study hard」。目が覚めた。

三章 サウスピークでの日々

2014年8月4日

留学が始まった。クラスはレベル5(TOEIC500点相当レベル)だった。初めての授業はよく覚えている。担当はCyril講師、授業はReading&Writing Lessonだった。速読速聴英単語Standard1800を音読した。全然読めなかった。単語の発音方法が分からなかった。

Cyrilに何度も指摘された。緊張と焦りで、冷や汗が止まらなかった。「風邪ひいているの?」と心配された。「このままじゃヤバい」。1人で焦っていた。

授業終わりに、個室自習室に籠もった。卒業までの目標と日々の勉強量を細かく決めた。サウスピークは「3ヶ月でTOEIC点数が200点上がる」と売り文句にしている。「それなら2ヶ月でTOEICを200点上げてやろう」。本気で目指していた。

翌日から、決めた量を確実にこなし続けた。勉強に慣れていない自分には苦痛だった。本当にしんどい日々が続いた。それでも、初日に感じた「焦り」が自分を突き動かしていた。

2014年8月16日

セブ島でのTOEIC受験、1回目。585点だった。「あんなに頑張って勉強したのに」。前回受験の5月から65点伸びていたが、「すごく伸びるはずだ」と期待していた分、落ち込んだ。サウスピーク現地責任者・丸山さんに相談した。「継続すれば必ず伸びる」とだけ言われた。その言葉を信じて、勉強し続けた。

授業の予習、復習を徹底した。毎朝5時半に起きて勉強した。「グループレッスンは勝負だ」と毎回本気で取り組んだ。レベル分けの順位表を、毎日何度も見た。上のレベルにいる自分を想像した。

何が足りないのかを考えた。「より高いレベルに、身を置こう」と、自主的にTOEICの模試をやってLevel 6に上げてもらった。「ここが悪かった、あれが良かった」「このままじゃ目標達成できない」と寝る前に日記を書いた。

Studyplusという勉強時間記録アプリを使った。1日10時間以上勉強する日もあった。「どんな勉強してるんですか?」と、自分よりもレベルの高い学生たちに話を聞いた。大阪では出会えなかった「優秀な学生」たちだった。「意識高いだけ系学生」の自分とは違った。教えてもらったことを、素直に真似した。「すごいな」と感心した。そして、「絶対に負けない」と闘志を燃やした。

サウスピークでの日々は、留学ではなく「修行」だった。中途半端な気持ちの人たちとは関わらないようにした。「本気の人たち」だけと関わった。すると、自分よりも優秀な人たちが、自分よりも本気だと気付いた。「なんやねん、お前ら」。さらに燃えた。

「徹底的にがむしゃらに」「満足せずに、常に上を目指す」。その意識で勉強し続けた。すると結果は出た。

2014年9月13日

セブ島でのTOEIC受験、2回目。690点だった。鳥肌がたった。校舎の玄関で叫んだ。長いトンネルから抜け出したような、スカっとした気分だった。1ヶ月半の間の辛さが、一瞬で吹っ飛んだ。

お世話になった先輩たちに報告した。「めっちゃ上がってるやん!」。先輩たちから、やっと認められた気がした。講師たちに報告した。自分のことのように喜んでくれた。「俺だってやればできる」。正しい方法で徹底的にやれば、結果は出ると実感した。

同時に「700点の壁」を感じた。留学最後の1週間だけ、Level 7(TOEIC700点相当レベル)のクラスに参加させてもらった。TOEIC 600点代と700点代との、語彙力の差を感じた。「まだまだダメだ」と、浮かれていた気持ちが落ち着いた。

学生たちからだけでなく、社会人の方々からも多くのことを学んだ。サウスピークには、学生だけでなく、休暇を利用して、または仕事を辞めてまで留学されている社会人がいた。

「仕事を辞めてまで留学?」と、最初は思った。ただ、すぐにその理由は分かった。大人たちが真剣に机に向かっていた。学生よりも、朝早くから夜遅くまで勉強している大人たちが、沢山いた。

「英語が必須になる社会になる」と肌で感じることができた。英語学習の目的が、「就活のため(=TOEIC)」から「社会で生き抜くため(=実践的な英語力)」へ変化した。

「休学しよう」。帰国後を考えた時すぐに浮かんだ。本来なら取り組むべき「就職活動」は、頭には無かった。「できるだけ、やってみたい」。その時の自分の「勢い」を殺したくなかった。携帯のメモのTO DOリストに「アメリカ 留学」と書き込んだ。

2014年9月25日

サウスピーク留学最終日。卒業式のスピーチは、まともに喋れなかった。今回の留学では実用的なSpeaking能力は伸びなかった。英語力が低くて講師とまともに会話できた記憶も無かった。「使える英語を身に付けよう」。休学、留学の思いが更に強まった。

2ヶ月間の留学を振り返って、達成感は無かった。「ここから始まる」。そんな気持ちだった。「来年の3月までにTOEIC 850点を取ります」。帰国後も自分を追い込むために、スタッフの神農さんに宣言した。

2014年9月26日

セブを発った。日本での英語学習と、アメリカ留学への準備が始まった。

⇒ 第2回 「日本帰国後と、アメリカ出発まで」