Hiromichi第三弾

【この記事のポイント】

・TOEIC高得点=英語ができるわけではないと気づいた
・量も多く難易度の高い学習に苦労した
・自分の無力さを知るとともに、可能性も見いだせた有意義な留学であったと自負

第1回 「留学前と、サウスピークでの日々」
第2回 「日本帰国後と、アメリカ出発まで」

七章 語学学校での10週間

2015年3月28日

留学開始。
初めの10週間はUCSD Extensionの語学学校に通った。学校初日にレベル分けのテストがあり、Listening、Reading、Speaking、Writingを測る4つのテストを受けた。1月にTOEIC845点を取っていたこともあり、全10レベルの中でも上位レベルに入ることができると自信があった。しかし結果は、レベル5だった。SpeakingとWritingの点数が非常に悪く、ListeningとReadingも問題形式やテーマが TOEICと全く異なり対応できなかった。そこでやっと、「自分は英語ができない」と目を覚ますことができた。「TOEICが高得点=英語ができる」というわけではないと分かっていた。しかし、TOEICの勉強に捧げた9ヶ月間のなかで、「TOEICが高得点=英語ができる」だと信じてしまう自分がいた。

授業科目は7つで、90分or180分の授業を1週間で17コマ受講した。基本的に科目は選択式だったので、自分の弱みであるSpeakingを3つとWriting、Reading、Grammar、Business Languageを1つずつ選択した。

Speakingの授業では、日常会話のフレーズやプレゼンテーションのやり方を学び、UCSDの本学生が会話の練習に付き合ってくれる授業もあった。Speakingには苦手意識があったが、「正しい文法だけで話さなければいけない」という固定概念を壊すことができてから会話が楽しくなった。

Writingでは、基本的なエッセイの書き方を学んだ。毎授業、テーマに沿ったエッセイを書く課題が出され、それを10週間こなし続けた。ビジネス専門学校へ進学後にプレゼンテーションを行う機会があり、サウスピーク留学時代にお世話になった講師へ原稿の添削を頼んだが、彼は「ヒロが自分でこの原稿を書いたの?」と私のWriting力の向上に驚くほどだった。

語学学校の学生は中国・台湾・韓国・日本・ブラジル・サウジアラビア人が中心だった。日本人は全体の2割ほどで、私と同様に大学を休学して留学している大学生がほとんどだった。関東から来ている大学生が多く、早慶上智といった高学歴の学生に囲まれた。しかし、だからこそ「学歴で負けているんだから英語力で負けてたまるか」と闘志を燃やし続けることができた。それは半年前にサウスピークで感じていた感情と全く同じだった。

語学留学中に感じたことが2つある。

1つ目は、中国と韓国の勢いだ。語学学校のキャンパス内で日本人学生を見ることは多かったが、UCSDの本キャンパス内で日本人を見ることは無かった。逆に、中国人と韓国人はUCSDの本キャンパス内で見ることが多く、日本人と中国人、韓国人の留学への意識の差を感じた。

2つ目は、アジア人の弱さだ。ある日、Speakingの授業でディベート大会が開催された。参加者は私と中国人・韓国人・ブラジル人・サウジアラビア人の5人だった。ディベート開始直後から、ブラジル人とサウジアラビア人が議論の主導権を握り続け、私を含むアジア人は何もできなかった。英語でのコミュニケーションには英語力だけでなく、誤りを恐れること無く発言する積極性が非常に重要だと感じ、その積極性はアジア人の中でも特に日本人は弱いと感じた。

アメリカでもサウスピーク留学時と同様に、早朝に起床し、コーヒーショップで勉強、学校で授業、帰宅前に図書館で課題、帰宅後に勉強というルーティンを10週間繰り返した。留学当初に受けたテストで感じた焦りや、日本だけでない様々な国の学生への闘志が自分を動かしていた。

八章 ビジネス専門学校での22週間

Hiromichi第三弾2

2015年6月25日

UCSD Extension Business Essentialsの前期開始。
Business Essentialsとは、ビジネスに必要な最低限の知識やアメリカのビジネススタイルを学ぶコースである。もちろん、授業は全て英語で行われ、UCSDで講義を持つ教授たちやサンディエゴを中心にビジネスを持つ実業家たちが講師だ。前期の授業科目はCommunication・Project Management・Cross Cultural Negotiation・Human Resources and Planning・Team Building and Decision Makingの5つ。クラスメイトは中国・台湾・韓国・日本のアジア系が中心で、大学生から公募留学の社会人まで在籍していた。

語学学校とのレベルの違いは明らかだった。参加する学生は会社から派遣される社会人がほとんどで、彼らの英語力やビジネス経験に圧倒された。講師の話す内容やそのスピードに全くついていけないこともあった。課題の量と難易度、プレゼンの回数や質も語学学校とは次元が違った。「このままじゃヤバい」という焦りと「負けてたまるか」という挑戦の日々が続いた。しかし、その中でも、新しいことに挑戦するときの緊張感や、高い壁を乗り越えた時の達成感は今まで感じたことがないものだった。

2015年9月22日

UCSD Extension Business Essentialsの後期開始。
後期の授業科目はCommunication・Project Management・Marketing・American Business・Organizational Behaviorの5つ。前期のクラスメイトだけでなく、他のビジネス系コースの学生達とも授業を受けられるようになり、クラスメイトはカナダ・ブラジル・ドイツ・スイス・スウェーデン・ロシア・インド・中国・台湾・韓国・日本人と一気にグローバルになった。ヨーロッパの学生の英語力はネイティブレベルで、彼らと対等に議論するのに大変苦労した。

前期のクラスとは異なり、大勢のクラスメイトの前での発言、プレゼンの機会が多かった。「英語をまともに話せない日本人の大学生の意見」を彼らに聞いてもらえるように様々な工夫をした。ディスカッションボートというオンラインで議論をする課題では、誰よりも時間をかけて情報収集し文章を練った。授業で発言する際は、端的に要点を話すこと、発音を意識すること、ハキハキとした声でいつもより低めのトーンで話すことを意識した。特に発音に関しては、サウスピークでの発音矯正の効果を発揮できた。日本人の発音は聞き取りづらく、それだけで話をまともに聞いてもらえないと分かっていたので、発音は強く意識した。

Marketingが一番面白い授業だった。アリゾナ州のテンピという町に実在するホテルのマネージャーにホテル経営や現在のマーケティング手法をヒアリングし、SNSや口コミサイトを用いた新しいマーケティング案を副社長に提案するというプロジェクトだ。3ヶ月間のプロジェクトの集大成であるプレゼンの結論を話す役をクラスメイトから指名された時の緊張感と、「期待されている」という喜びは今でも忘れられない。入念に話す内容を整理し、練習を何度も行った。これでもかと思えるぐらい練習したお陰で、本番はミス無く堂々と話すことができた。「いつまでも話していたい」と思えるほど、その程よい緊張感を楽しむことができた。

九章 自分の無力さと可能性

8ヶ月半の留学を通して学んだことが大きく2つある。1つ目は、「何もできない自分の無力さ」だ。語学学校時代もBusiness Essentials時代も、UCSDの図書館で自習することが多かった。世界大学ランキングの上位に常にランクインする大学の図書館は常に学生たちで混雑していた。彼らは英語はもちろん第二外国語も操り、各々の専門性を深めるために日々黙々と勉強していた。そんな彼らの隣で勉強する私は、日本の大学でも専門性を深めている訳でもなくアルバイトとサークルに没頭、英語を少し勉強してTOEIC845点取っただけで有頂天になり、「何でもできると」と勘違い。

私は「何もできない自分の無力さ」を肌で感じ、彼らと同じ机で勉強すること自体が恥ずかしくなるほどだった。しかし、その恥ずかしさがモチベーションになった。学歴や能力で人を判断することはできないが、その時の私は「負けてたまるか」と、学歴や能力では到底敵わない彼らをライバル視していた。その「勝ち負け」も一体の何の勝ち負けだったのか分からないが、その恥ずかしさや悔しさが自分を動かしていた。

2つ目は、「自分の可能性」だ。Business Essentialsの後期が始まった当初、Organizational Behaviorの授業で、「各国の労働環境における多様性」というテーマへの意見を日本人代表としてクラスメイトの前で発表することになった。いきなりのことだったので準備も全く無く、思いついたアイデアをただ話したが、私の発表内容は全くテーマの本質を捉えず、また英語のレベルも低く、私はクラスメイト全員から笑われた。英語力とビジネス経験においてクラスメイトと私との間には大きな差があることは理解していたが、彼らに笑われたことが本当に悔しかった。

しかし、その悔しさも自分のモチベーションになり、「残りの3ヶ月間でできるだけ差を埋めてやる」と決意した。もはやこの時点では「悔しさや焦りを自分の力に変える」という自分の行動特性を理解し、あえて困難な道を選択するようになっていた。しかし、それを意識的に計画的に行える力も留学を通して学んだ能力の1つだ。授業や議論に積極的に参加する、準備を徹底するなど地道な努力を3ヶ月間継続した。そして、最終授業のプレゼンテーションでは、チームの最終パートを担当しクラスで1番の評価を獲得した。

自分の発表を笑ったクラスメイトたちが自分を評価し拍手する光景は今でも忘れられないし、少しでも見返えすことができたのが本当に嬉しかった。その時、約1年前にサウスピークにいた頃の自分の姿を思い浮かんだ。まともに英文音読できなかった自分、訳の分からない英文を書いていた自分、日本人へのたった2分間の簡単なスピーチにも関わらず膝を震わせていた自分。たった1年間でも人は大きく成長することができると実感できた。そして、「やればできる」と自分の可能性を実感できた瞬間だった。

非常に意識が高い学生だったと自分で思う。この留学にかける強い思いがあったからだ。「もっといろんなことに挑戦してみたい」という思いを忘れること無く、努力し続けることができた。そして、なにより「自信」がついた。それは、TOEIC845点を取った時の自信よりも更に強いものだ。「やればできる」。帰国後に始まる就職活動や大学のゼミ活動が楽しみになった。

2015年12月10日

日本へ帰国。
留学生活への満足感と、日本での期待感を胸に、ロスアンゼルス国際空港を発った。

終わりに

「英語を学んだ先にはどのような世界が広がっているのか」というテーマの元、私に起きた波乱の2年間を書かせていただきました。僕が経験した「英語を学んだ先の世界」は、沢山の壁があって1つ乗り越えるとまた1つ壁が現れるという厳しい世界でした。ただ、その世界に挑んだからこそ経験できたことがあり、出会うことができた仲間がいます。そして今、「2年前の選択は間違ってなかった」と心から思えています。

サウスピークへの留学を検討している、もしくはサウスピークに留学中の学生の皆様へ。挑戦できる可能性が少しでもある限りは、挑戦するべきだと思います。僕たちのように若い人間には「失敗できる権利」があると思います。また、「若い時の苦労は買ってでもせよ」ということわざが存在するように、若いうちは苦労を選択することで「楽しい将来」を手に入れることができるのではないでしょうか。

サウスピークに出会えたからこそ見えた世界がありました。「英語」を通して、様々なことを学ぶことができました。これからも挑戦を続けます。マネジメントと教師の皆様、サウスピークで出会った生徒の皆様、本当にありがとうございました。

小川洋道