12625814_943394915726382_616270484_n

【どこで生きていきたいんだろう・・・】

【この記事のポイント】

・ビジネスシーンでの言葉の壁を感じ留学を決意
・3ヶ月で200点というフレーズに惹かれサウスピークを選択

新卒入社3年目、商社の営業マンとして新しい営業所に転勤になり2ケ月ほど経った頃、顧客と仕入先の間で交渉が難航しているとき、ミーティングの最後に上司は突然こう切り出してきました。

上司「お前みたいなお人好しが生きていけるとこじゃないんだよ。」

私「・・・はい・・・・・」

上司「このままお前が営業続けても死ぬぞ。」

私「・・・すみません・・・・・」

その日、自分の中で何かスイッチが切り替わったのを覚えています。

(俺はどこで生きていきたいんだろう・・・)

先の上司の言葉にはきっと「食らいついてこい」、という想いがあったかどうかは分かりませんが、あのとき自分は、将来を描くでも過去を懐かしむでも無く、それこそ“なんとなく”毎日を過ごしていることに気付きました。

遅ればせながらここで簡単に私の経歴をお話すると、関西のそこそこ有名な私立大学を卒業、右肩上がりの上場企業に就職、と将来に然程不安なく頑張れそうなコースを走っているつもりの人間でした。その当時、光栄にも年間十数億円の取引をしている既存顧客を任され、着任後も順調に売上は伸びていました。入社時の期待通り毎日海外と英語でやり取りをする仕事に就き、経験豊富な先輩方に指導頂きながら勉強させて頂いた日々は今振り返っても本当に貴重な経験だったと思っています。

それでも、そんな日々を送りながらも、将来への不安とは違う、何か根拠の無い“虚しさ”のようなものが、いつの間にか毎晩枕元にこびりついて離れなくなっていました。

(自分はどこに向かっているんだろう・・・)

【気付けば壊れ始めていた】

この頃は、23時以降に帰ることがほとんどで、家に着く頃には日付が変わっているという日も少なくありませんでした。とはいえ、心の中で「きっと転勤したばかりで新しい環境に慣れてないからブルーになっているのだろう」と自分に言い聞かせていたのを覚えています。

そんな折、冒頭の上司とのやり取りがあり、その日に心の中で火がついた矛盾は徐々に身体に訴えてくるようになりました。勤務中やたらと身体がだるく、腹痛が続くようになり、帰宅しても3時4時まで眠れない日々が続きました。病院に行って症状を説明し、睡眠薬を出されてふと無意識に自分の声が脳裏に過りました。

(このままじゃ俺、ぶっ壊れる・・・)

そのとき、自分の頭の中に立て続けに「退職」の2文字が浮かんできました。ちょうど社会人になって3回目の秋を迎えたころでした。

(いや、まだ3年も勤めてないじゃないか)
(まてまて、このまま続けて俺の身体どうなるの?)
(じゃあ退職したとして、どうやって生きてくわけ?)
(とにかく生きてなんぼのもんやろ?)
(いや、稼がずにどうやって?)

(そもそも今の仕事続けて将来どうなりたいの?)

(・・・・・・・・・・・)

ええい、ままよ!(←本当に心の中で叫んだ)

説得力の欠ける脳内会議を続けた結果に自分自身痺れを切らしたかのように、
そのとき出した答えは、、

「今の生活からとにかく離れる」ことでした。

考えてみなくても自分が将来どうなっているか分からないのは当たり前なのですが、このときの自分は「自分の将来をどう決めていくか」考えることを避けて淡々とサラリーマンをしていたように思います。正に自業自得ですが、そのモヤモヤが大きくなって知らぬ間に自分の周りを取り囲んで、自らがどこにいるのか見失って不安に呑まれていたような感覚でした。そこから抜け出したい一心でした。

(一旦今の日常から離れて、もう1回やってみたい事にトライしよう)
(1回だけのつもりで、『自分がやりたい』ことを考え直そう)

それから身体のこととかも含めて両親に説明し、退職後は実家に帰ることになりました。このとき両親が何の追及もせず受け入れてくれたことに本当に感謝しています。それと同時に、突然相談も無しに退職の旨を伝えた会社側の方々には本当に申し訳なく思いました。

【退職後を考える】

退職しようと決めた時点で、その後は英語教師を目指そうと決めていました。このとき、正直なところ、このときは「英語が好き」「教えることが好き」以外の動機は特にありませんでした。それでも自分で「挑戦しよう」と決めた事をやり遂げようと心に決めていたので、会社の方々にも正直に退職後の計画をお話して、引継期間3ケ月程の後、退職することとなりました。

「この少子化の流れの中で何故」だとか「お前には向いてない」など、あらゆる反発を受けたのは事実ですし、実際家庭教師のアルバイトすら経験の無い状況でしたので、正直退職前から色々準備しようと考えましたが、退職までは担当の職務/引継をやりきろうと決めて、退職後の具体的な話は退職後に決めることにしました。今振り返ると本当に無謀だったなと思います(笑

【転機が降ってくる】

退職が決まっていた秋も深まった頃に、初めて担当のお客様の同行で海外出張が入りました。そこでフィリピンを訪れる機会があったのですが、このときの出来事が私の今後を大きく後押ししてくれることとなったのでした。

naia
※出張先のニノイアキノ国際空港(NAIA)にて

それはフィリピン支社で日本人駐在員の大先輩とフィリピン人スタッフの会議を見学させて頂いているときのことでした。会議が始まってすぐ、私は会議を仕切る駐在員の方とフィリピン人スタッフの方々との間にある違和感に気付きました。

フィリピン支社では英語が公用語になっているのですが、駐在員の方は綺麗なカタカナ発音で単語を並べているという状態でした。フィリピン人スタッフは聞き取れていないのか、何度も繰り返し同じ内容を話すという会議になっていました。そのとき私は、自分がずっと放置していた不満の1つに気がついたのでした。

(何でグローバルに展開する企業の会議で英単語を並べているのか)

自分の職場を振り返ってみると、そういえば英語を話せない社員が話せる社員に電話を代わることや、指示したい業務内容が複雑で英語で上手く言えないから現地スタッフではなく管理職の駐在員に電話するといった場面や、取引先からの「英語の資料じゃなくて日本語の資料を再送してくれ」だとか「会議が英語なら参加できない」といった反応を思い出しました。

(このままで日本人は大丈夫なのだろうか)

そんなことを心の中で呟いたのを覚えています。日本に優秀な方々がたくさんいらっしゃることは信じて疑いませんが、同じように海外にも素晴らしい仕事ぶりを見せている方々がいらっしゃるのも事実です。海外進出や、そうでなくとも国内で国際業務に従事することが多くの日系企業の現場で日常になりつつある今日、「日本人労働者の価値」に大きな危機感を募らせました。

もちろん自分の英語力が未熟なのは自覚していましたが、同時に突き破りたい壁を見つけたような気持ちでした。

(ビジネスシーンでの『言葉の壁』をどうにかしよう!)

青臭いことこの上ないのですが、まるで見失っていたものを見つけたような感覚でした。それまで漠然としていた語学教育への熱意が姿を現したのでした。

【留学を考える】

退職の日が月末に迫っていたころ、私は迷っていました。
それは、退職後すぐに転職先を探すのか、あるいは自己研鑽のため勉学に励むか、ということでした。

貯金があるとはいえ、教育業界未経験の身では、すぐに就職先を見つけて現場で実践経験を積むほうがいいのではないかという考えがあったからです。

しかし、自分が退職を決意したときのことを思い出して、「すぐに再就職したのでは何の面白みもないじゃないか」というあまり合理的とはいえない理由で留学することを決心しました。とはいえ、無目的に行動する訳には行かないので、TOEIC®のスコア860以上(Aランク)、SWテストで8割の320点以上を留学中の達成目標に設定しました。

【留学先を考える】

ついに退職の日を迎え、翌日から英語圏かどうかに関わらず様々な留学先の国について調べ始めました。そんなある日、Twitterでサウスピークに関するつぶやきを見つけました。

「3ケ月で200点も上がるもんなのか?今のスコアTOEIC700点なら900点いけるやんけ。しかも欧米の学校に留学するより段違いに安い・・・!そんな馬鹿な。」

しかし、私は2週間後にサウスピークへの留学を決めることとなりました。
理由は明確でした。

    • 1. 勉強に専念できる環境(1日10時間を確保できる環境)

 

    • 2. 過去の卒業生の実績が自分の目標に近い

 

    • 3. 英語の4技能、(話す、聞く、書く、読む)全て鍛えられる。

 

    4. 留学費用を予算内に収められる。

以上の条件を満たしているのは正直、私が探し出した中ではサウスピークだけでした。イギリスなど英語圏はそもそも予算に合わず、フィジーやマルタなどは観光イベント的なアピールが強く、卒業生の実績が不透明(数値的でない)だったので除外しました。フィリピンには他にも複数あった訳ですが、日本語教材を使えること、本気留学を掲げていることからやはりサウスピークにしました。若干サクラのような記事になっていますが、上記全ての条件を満たす学校を探していたところ自然とそうなりました。

さて、先ほど触れた英語教授法TESOLですが、これを学ぶコースを取るため、私はサウスピーク卒業後に直接シドニー留学をする事に決めました。こちらはあっさり決まって、英語圏で、教育実習が出来て、予算内に収められる学校という条件で探し、各国のエージェントに問い合わせたところ、シドニーの現地留学エージェントから紹介を受けたInternational House Sydneyという学校への入学を決めました。

次回のお話はサウスピークとInternational House Sydneyでの留学について紹介させて頂きたいと思います。

文:芦田康平

⇒ 第二回セブ&シドニー留学編